周易64卦384爻占断
285、水風井(すいふうせい)3爻
◇ 井とは何か?
水風井(すいふうせい)は、「井戸」の象を通して、人や社会を潤す力・才能・徳は、正しく汲み上げられてこそ意味を持つことを教える卦です。
井戸の水は、下に行くほど濁り、上へ行くほど澄みますが、どれほど良い水でも、汲む人がいなければ役に立ちません。
三爻は井戸の中ほどに位置し、水はすでに清められているのに、なお用いられない段階です。
これは、「能力はある」「中身も整っている」――それでも世に届かない、活かされないという、非常にもどかしい状態を表します。
◆ 卦全体が教えてくれること
井の卦が繰り返し示すのは、
価値があるかどうかではなく、用いられるかどうかが運命を分ける、という現実です。
三爻は、初爻のように腐ってもおらず、二爻のように無駄に漏れてもいない。
それなのに使われない――つまり、
- 実力はある
- 準備も整っている
- しかし、認める立場・引き上げる存在と結びついていない
という状態にあります。
卦全体としては、自分を磨き続けつつ、理解者に届く位置へどう立つかが大きな課題になります。
◆ 三爻の爻辞と解釈
【爻辞(読み)】
井(せい)渫(さら)えども食(くら)われず。
我(わ)が心(こころ)惻(いた)みを為(な)す。
用(もち)いて汲(く)む可(べ)し。
王(おう)明(あき)らかなれば、並(とも)に其(そ)の福(さいわい)を受(う)く。
【象伝(読み)】
井(せい)渫(さら)えども食(くら)われざるは、行(おこな)い惻(いた)むなり。
王(おう)の明(あき)らかなるを求(もと)めては、福(さいわい)を受(う)くるなり。
● 解釈
三爻は陽爻で、井戸の「水そのもの」に当たります。
しかも位置は正しく、水質も良く、すでに掃除され清められている状態です。
本来なら、十分に役立ってよいはずの水です。
それにもかかわらず「食われず」――飲まれず、使われない。
これは水に問題があるからではありません。
汲み上げる側が、その価値に気づいていないからです。
井の初爻が「泥で腐った水」、二爻が「漏れて無駄になる水」だとすれば、
三爻は「澄んでいるのに、誰にも見つけてもらえない水」です。
「我が心惻みを為す」とは、
単なる不満や愚痴ではありません。
世の役に立てるはずのものを、役立てられないことへの痛みです。
これは、自分のためというよりも、「活かされないこと自体が惜しい」という感覚に近いものです。
しかし、ここで爻は希望も示します。
「用いて汲む可し」――
この水は、使う価値がある。
汲む側が目を開けば、すぐにでも役に立つ。
そして「王明らかなれば」とは、
見る目のある人、状況を正しく見抜く立場の者が現れれば、という意味です。
そのとき得られる福は、
用いられる側だけのものでも、用いる側だけのものでもなく、
周囲すべてを潤す結果になると説かれています。
象伝が言う「行い惻む」とは、
境遇を嘆くことではなく、
行いとして世に現れないことを惜しむ心を指します。
だからこそ三爻は、
力を腐らせず、清めたまま保ち、
理解される時を待つ姿勢を求めているのです。
◆ 含まれる教え
- 整えられた力を保持しているだけに、使われない時の痛みは深い
- 価値がないのではなく、見つけられていないだけのことがある
- 自分を投げ出さず、澄んだ状態を保つことが大切
- 見る目のある人に届いたとき、恩恵は広く行き渡る
- 不遇の時ほど、自分の姿勢と周囲との交わりが次の縁を作る
◆ 仕事
能力・計画・内容は十分に整っています。
しかし、決裁者や引き上げ役との縁が弱く、
「わかる人にはわかるが、使われない」状態に陥りやすい時です。
今は無理に押し込むよりも、
評価される場・紹介される経路・関係性を整えることが重要です。
腐らず、雑にならず、質を保ち続けることで、
ふとしたきっかけから道が開きます。
◆ 恋愛
誠実さや人柄が、相手に十分伝わっていない可能性があります。
焦って動くと空回りしやすく、
自然に理解される距離感や時間が必要な時です。
「良さはあるが、まだ汲まれていない」段階なので、
関係を壊さず、丁寧に縁を育てる姿勢が吉です。
◆ 水風井・三爻が教える生き方
三爻が教えるのは、
「使われない時でも、澄んだままでいる状態を保つ強さ」です。
見捨てられたのではない。
価値がないのでもない。
ただ、まだ汲まれていないだけ。
清めた水を、清めたまま守り、
見る目のある人に届く位置を探し続けること。
それが、三爻の生き方です。

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