256、沢天夬(たくてんかい)4爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

256、沢天夬(たくてんかい)4爻

◇ 夬とは何か?

沢天夬(たくてんかい)は、「決する」「断ち切る」を意味する卦です。

上卦は兌(沢)、下卦は乾(天)で、五つの陽が上の一陰を押し上げて決去しようとする象を持ちます。

夬は、ただ強く出ればよい卦ではありません。

決するとは、感情で押し切ることではなく、

  • いつ決するか(機の熟し)
  • どの順序で決するか(前に立つ者と後ろに回る者)
  • 正義を守りつつ、無用な傷を避けるか(露顕と反撃の回避)

が問われます。

夬の道は「勢い」だけでなく、「用い方」が成否を分けます。

◆ 卦全体が教えてくれること

夬の卦は、上に一つだけ残った陰(小人・邪・不正の象)を、下から積み上がる陽が決していく局面です。

ただし、初爻ではまだ機が熟さず、急進すれば敗れ、上へ進むほど決断の実行段階へ移ります。

四爻は、決去の進行が最も微妙になる位置です。

上の勢威を知り、政(こと)を司る立場にもあり、しかも気力・条件が噛み合わず、自分が先頭に立つほど危うい。

ここで卦が教えるのは、正面突破ではなく、強い者を前に立て、自分は背後でこれを導くという「決し方」です。

◆ 4爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「臀(いさらい)に膚(はだえ)なし。其(そ)の行(ゆ)くこと次且(じじょ)たり。羊(ひつじ)に牽(ひ)かれて悔(く)い亡(ほろ)ぶ。言(こと)を聞(き)きて信(しん)ぜず。」

【象伝】

「其(そ)の行(ゆ)くこと次且(じじょ)たるは位(くらい)当(あた)らざるなり。言(げん)を聞(き)きて信(しん)ぜざるは、聴明(そうめい)ならざるなり。」

● 解釈

「臀に膚なし」とは、尻に肉がなくて据わるにも歩くにも痛い、という比喩で、進退ともに苦しく、思うように動けない状態を示します。

「其の行くこと次且たり(じじょたり)」は、進もうとしても足が出ず、事が運ばない象意です。

なぜそうなるか。象伝は「位当らざるなり」と言います。

四爻は、上の一陰に近く政務を担う位置でありながら、陰位に陽爻で、気力・条件が噛み合いません。上の勢威もわかる、責任もある、しかし剛進もできない——この板挟みが「次且」の苦しさです。

そこで爻辞は解法を示します。

「羊に牽かれて悔い亡ぶ」。羊は前から引かれると中々ついて進んでこないが、後から追って行けば前に進みます。

これを夬の局面に当てれば、四爻が自ら先立って決しに出れば露顕し、傷害も大きい。ゆえに、目下の強壮なもの(内卦の三陽)を前面に立て、自分は背後について導くのがよい。そうすれば悔いは亡ぶ、という筋です。

しかし「言を聞きて信ぜず」と続くのが、この爻の難しさです。

理屈としてはそうすべきなのに、当人の心は落ち着かず、焦りや面子、あるいは猜疑のために、その助言を信じきれない。象伝はこれを「聴明ならざるなり」と断じ、聞くべき言を聞けないところに、悔いが残りやすいと戒めています。

つまり四爻は、

「自分が主役として前へ出ると痛手を受ける。強い者を前に立て、自分は背後で方針を通す。だが、その賢い運びを信じ切れない心が最大の障害」

——ここに要点があります。

◆ 含まれる教え

  • 動けぬ時は、力押しで動こうとせず、布陣を変えよ
  • 前に立つ者と、背後で導く者を分けるのが「決する」技法である
  • 正しい助言ほど、疑いで退けやすい——聴く力を失うな
  • 近い相手(上位・権力)ほど、露顕は致命傷になりやすい
  • 悔いを消す鍵は「先頭に立たぬ」ことにある

◆ 仕事

仕事では、責任は重いのに裁量が足りず、前に出るほど火の粉をかぶる局面です。

組織で言えば、上層の意向も現場の力学も知っている中間〜上位層に起こりやすく、板挟みで身動きが取れない象です。

この時は、自分が矢面に立って突破しようとせず、実務能力や推進力のある人員を前面に立て、自分は後方から手順・根回し・論点整理で導くのがよいでしょう。

交渉や調整も同じで、代理を立てる、前に立つ部署を立てるなど、表に出る配置を工夫するほど「悔い亡ぶ」に近づきます。

反対に、「自分がやらねば」と前へ出るほど露顕し、傷が深くなりやすい時です。

◆ 恋愛

恋愛や縁談では、関係を前へ進めたいのに条件が整わず、進めば痛みが出る象です。

また周囲の目や噂で「濡れ衣」を着せられやすい流れも含みます。

ここは、正面から押し切るより、信頼できる仲介・橋渡し役を前に立てる方が無難です。

ただし「言を聞きて信ぜず」の通り、良い助言を疑ってしまうと、こじれて悔いが残りやすい。

焦らず、手順と距離感を整えることが肝要です。

◆ 沢天夬(4爻)が教えてくれる生き方

四爻が教えるのは、決断の局面における「前に出ない勇気」です。

動けぬのは弱さではなく、位が当たらぬゆえの構造です。

ならば、無理に自分を押し出さず、強い者を前に立て、背後で道を整える。

その運びを信じ、聴くべき言を聴けたとき、悔いは消えます。

夬の道は、剛だけでは成りません。

「誰が前に立ち、誰が後ろで支えるか」——その配分を誤らぬこと。

これが沢天夬・四爻の歩み方です。

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