231、水山蹇(すいざんけん)3爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

231、水山蹇(すいざんけん)3爻

◇ 蹇とは何か?

水山蹇(すいざんけん)は、「進もうとしても進みにくい」「道が塞がれ、足が取られる」局面を示す卦です。上卦は坎(水)で険難を、下卦は艮(山)で止まる・身を守ることを表し、険が前にあって、山がその場に踏みとどまらせる形となるため、無理に前へ出れば難に嵌まり、退いて止まれば身を保てる、という判断の軸が強く働きます。蹇は単なる停滞ではなく、険の見極めと、止まり方の質によって吉凶が分かれる卦であり、進退の取り違えがそのまま損失や疲弊となって現れやすいのが特徴です。

◆ 卦全体が教えてくれること

蹇の卦は、行けば苦しみ、退けば道が開ける、という単純な二分ではなく、「今は進むことが目的に適わず、むしろ内に反って力を養い、時機の到来を待つべきだ」という教えを含みます。険難のただ中で焦って動けば、状況を変えるどころか、難の層を深くしてしまう。逆に、止まるべきところで止まり、体勢を整え、内部の支えを固める者は、同じ蹇の中にあっても心が安定し、周囲の信を集め、転機に耐え得る骨格を作ることができます。三爻は、まさにその「内に反る」働きが強まり、外へ出て難を増すよりも、内に留まって受け持つべき役割を果たすことで、内側がそれを喜び、支えが生まれる段階を示します。

◆ 三爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「往(ゆ)けば蹇(なや)み、来(きた)れば反(かえ)る。」

【象伝】

「往(ゆ)けば蹇(なや)み、来(きた)れば反(かえ)るは、内(うち)これを喜(よろこ)ぶなり。」

● 解釈

「往けば蹇み」は、進めば険に踏み込んで苦しむ、という蹇の根本をそのまま告げています。三爻は内卦の主たる陽剛にあたり、前へ出て局面を切り開きたくなる力を持ちながら、目の前には坎の険が重なっているため、ここで前進を選べば、成果よりも消耗が先に立ち、蹇の苦しみを増やすことになりやすい。そこで「来れば反る」と言うのは、退いて引き返すというより、己れに反って外へ出ない、すなわち身を内に収めて止まることを指します。艮を身とし、その象意が「背に艮まる」と言われるように、三爻には外へ走らず、内に反って踏みとどまる姿がよく現れます。

象伝が「内これを喜ぶ」と述べるのは、三爻が内に止まることで、内側の者たちが安心し、その存在を頼りとするからです。内卦にある陰の爻は、強い支柱となる者を求めていますから、三爻が外へ出て危地に入るよりも、内に留まって統率し、支え、整えることが、内部にとって最も喜ばしい。ゆえにこの爻は、退いて守るという方針が、単なる消極ではなく、「内部の安定を得る」という積極的な意味を帯びます。ただし、頼りにされることは同時に束縛でもあり、目下の者や家の事情が手足まといとなって自由が利かず、身動きが取りにくい形で現れやすいのも、この爻の実際です。

◆ 含まれる教え

この爻が示す教訓は、険の時に最も大切なのは、外へ打って出る勇ましさではなく、止まるべきところで止まり、内を整えて難の波をやり過ごす分別である、という点にあります。進めば蹇み、退けば反る。ここでの「反る」は、逃避ではなく、己れの足場へ戻り、体勢を立て直すことです。さらに、内がそれを喜ぶということは、自分一人の都合で動けばよいのではなく、内部の安定を優先することが、結果として難を浅くし、転機に耐える力を養う、という意味でもあります。

◆ 仕事

仕事では、今は前へ出て攻めるほど障害が増えやすく、強引に進めば相手の利にして自分は疲弊する、という形になりがちです。拡大・新規・強行突破よりも、いったん引いて守り、足元の整備、内部の連携、段取りの再点検に力を注ぐ方が良い。周囲から頼られ、まとめ役を任される暗示もあり、組織の内側を統率して安定を作ることが役割になりますが、その分だけ自由は束縛され、雑務や面倒が増えやすい。成果を急ぐのではなく、守りの質を上げることで、後の転機に備えるのがこの爻の実際的な用い方です。

◆ 恋愛

恋愛では、進めば進むほど噛み合わず、無理に形にしようとすると苦しみが増える傾きがあります。一方で、退いて反り、距離を置いて状況を整えると、内側の事情が落ち着き、安心を得る方向へ向かいやすい。家族の干渉や、身内の用事、手放しがたい事情によって縁が遅滞しやすい象もあり、特に「こちらが世話役を背負っているために身動きが取れない」という形で出やすいでしょう。焦って押し切らず、いまは守りの姿勢で、後悔を避けるのが吉です。

◆ 水山蹇(三爻)が教えてくれる生き方

三爻が教えるのは、「険を見て止まり、己れに反る」という生き方です。前へ出れば難が増える時に、退くことは弱さではなく、身を保ち、内を整え、支えを失わないための選択になります。頼りにされる立場にあるなら、なおさら外へ走らず、内部の秩序を守り、落ち着いて時を待つことが、最終的な通達へ繋がる道となる。進むべき時は必ず来ますが、その時は「いま」ではない。蹇の只中では、反って守る分別こそが誉れに通じる、というのがこの爻の骨子です。

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