168、沢風大過(たくふうたいか)上爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

168、沢風大過(たくふうたいか)上爻

◇ 大過とは何か?

沢風大過(たくふうたいか)は、物事がすでに限度を超え、均衡を失った状態を示します。

上卦の沢(兌)は悦び、下卦の風(巽)は従順を表すものの、内に剛陽四つを抱え、重みが中に集中しています。

そのため、外は柔らかく見えても、内実は張りつめた危機の構造を示します。

この卦が示す「大過」は、過剛・過負・過重。

その圧力の中で、いかに正しく立ち、折れずに耐えるかを問う卦です。

同時に、限界の中に潜む「義の完成」を教える卦でもあります。

◆ 卦全体が教えてくれること

大過は「非常時」「重責」「極限の試練」を象徴します。

この卦においては、もはや安穏な時ではなく、己を賭して事に当たらねばならない局面。

安定を求めるよりも、義を貫くことが求められます。

しかしその努力は、必ずしも成功を約束するものではありません。

結果よりも、その行為の意義と誠こそが、この卦における真の価値なのです。

◆ 上爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「過ぎて渉(わた)る。頂(いただき)を滅す。凶。咎(とが)无(な)し。」

【象伝】

「過ぎて渉(わた)るの凶は、咎むべからざるなり。」

解釈:

上爻は大過の最終段階に位置します。

卦全体の重みを受けきる位置にあり、もはや避けられぬ災難に直面する象です。

人事に喩えれば、力弱くして重任を負う者――

己の能力を超える責任を、宿命的に背負わされた者の姿です。

「過ぎて渉る」とは、度を越えて行動すること。

目の前の大河をどうしても渡らねばならず、もはや引き返せない。

「頂を滅す」とは、その身を没し、命さえも危うくする意。

結果として凶ですが、その行為の根にあるのは私欲ではなく義。

だから「咎なし」と言われています。

象伝に「咎むべからざるなり」とあるように、

これは悲壮な自己犠牲の象です。

己の命を賭してでも、正義・義務・使命を全うしようとする姿であり、

その崇高な志こそ、易が「咎なし」と評する所以です。

◆ 含まれる教え

  • 義を貫くことに価値がある。結果は問われない。
  • 己の力を超える重責には、慎重と覚悟をもって臨め。
  • 正義の行動でも、必ずしも吉とは限らない。だが、咎はない。
  • 犠牲の中にこそ、人間の尊さが宿る。

◆ 仕事

この爻を得た時は、自らの力量を超えた任務を担う時期です。

責任の重さに圧され、逃げることもできない。

私的な事なら避けるが、公的な義務であれば、

大覚悟をもって事に当たれば「咎なし」とされます。

しかし、成功は期待できません。

無理をすれば身体や財を損なうこともあり、

状況はすでに限界に達しています。

小さな判断ミスが致命傷になる恐れもあるため、

今は義に基づいて静かに行動する時です。

◆ 恋愛

婚姻や恋愛においては凶です。

情に流され、誤った相手に心を奪われる傾向があります。

特にその相手は「不貞な女性」や「色に溺れる男性」の場合が多く、

理性を失えば破滅的な結末を迎えます。

一時の情熱は「過ぎて渉る」に通じ、

それが自身の信用や生活を滅ぼすことになりかねません。

今は慎み、静かに距離を置くことが最善です。

◆ 沢風大過(上爻)が教えてくれる生き方

この爻が教えるのは、「義のために生き、義のために倒れる覚悟」です。

人は時として、理不尽な重責を背負わされる。

逃げたくても逃げられず、犠牲を払わなければならない時がある。

しかし、もしそれが真に他を救うための行動であるならば――

たとえ倒れても、咎はない。

大過の上爻は、悲壮の中の清らかな光です。

己の損得を超えて、正しき道を貫く者こそが、

最も「咎なき者」として易の理にかなうのです。

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