周易64卦384爻占断
167、沢風大過(たくふうたいか)5爻
◇ 大過とは何か?
沢風大過(たくふうたいか)は、「大いに過(す)ぎる」を意味し、すでに均衡を失って重くなりすぎた状態を示します。
上卦は沢(兌)で「悦び」、下卦は風(巽)で「従う」。
中に剛陽が四つも重なり、外に柔陰が包む構成は、過剛の極みであり、危ういほどに力が集中している象です。
しかしこの卦は、ただ危険を警めるだけではありません。
行きすぎた力が極点に達したとき、そこから転じて新しい調和が生まれることも示しています。
「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」――その中にあって、いかに自然の理に戻すかを問う卦です。
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◆ 卦全体が教えてくれること
大過は「限界を知ること」の重要性を説いています。
あらゆる事象が膨張しきり、抑えのきかない時。
人は力に溺れ、見かけの華やかさに惑いがちです。
けれども、本質の伴わない繁栄は長続きしません。
この卦は「節度を取り戻せ」「実を見よ」と教えます。
華やかさよりも、内なる真実と自然の調和を尊ぶこと――それが大過を正しく乗り越える道です。
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◆ 五爻の爻辞と解釈
【爻辞】
「枯楊(こよう)華(はな)を生ず。老婦其の士夫(しふ)を得。咎无く誉れ无し。」
【象伝】
「枯楊(こよう)華(はな)を生ずるは、何ぞ久しかるべけんや。老婦の士夫は、また醜(は)づべきなり。」
解釈:
第五爻は、上から潤いを受ける位置にあります。
本来、枯れて水分を失った楊(やなぎ)が、上からの潤いによって花を咲かせる。
それが「枯楊華を生ず」という象です。
しかしそれは、あたかも年老いた婦人が化粧を凝らし、若作りをして再婚するようなもの。
見た目には華やかですが、すでに生殖の道は閉じており、真の実りはありません。
だから「咎无く誉れ无し」――非難はされないが、称賛もされないのです。
象伝では、「何ぞ久しかるべけんや」とあります。
すなわち、このような華やかさは一時的であり、長続きしない。
「老婦の士夫」は、老境に入ってなお若さを装う姿を喩え、
外見だけを飾る空しさを戒めています。
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◆ 含まれる教え
- 見かけの華やかさに惑わされるな。
- 一時の復活も、実を伴わねば空虚に終わる。
- 自然の理を超えた行為は、長続きしない。
- 真の再生とは、若作りではなく、内面の成熟から生まれる。
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◆ 仕事
この爻を得た時、表面的には華やかで活気のある時期に見えますが、内実が伴わない危うい盛りです。
新規事業や拡張計画を立てるのは危険で、後に破綻や信用の失墜を招きやすい。
むしろ、一時的な人気や注目を慎み、地味でも確かな土台を築くべき時です。
過去の栄光を取り戻そうとして強引に動くと、「返咲き」のように短命に終わります。
また、他人の甘言や誘惑にも注意。特に女性からの助力が一時的な成功を呼んでも、
その後に誤解や評判の悪化など、思わぬ不利益を招くおそれがあります。
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◆ 恋愛
恋愛・婚姻においては、外見や雰囲気に流されやすい時期です。
華やかで魅力的な出会いがあるものの、実質に乏しく、長続きしません。
中年以上の男女では、過去の縁が再燃したり、身の程を忘れた恋に迷う傾向があります。
「老婦其の士夫を得」とは、まさに一時的な情熱の象。
そこに倫理や誠実が欠ければ、やがて人の嘲りを受けることになるでしょう。
本当に大切な縁を見極め、軽率な情に流されない慎みが必要です。
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◆ 沢風大過(五爻)が教えてくれる生き方
この爻が教えるのは、「見かけの繁栄より、真の充実を求めよ」という生き方です。
人は年を重ねても、華やかさを求めたくなる。
だが、真に美しいものは外見ではなく、積み重ねた誠と徳の中にある。
枯れた楊が花をつけても、その花は長くは咲かない。
だからこそ今は、
外の飾りよりも内の充実を磨く時。
虚飾に走らず、自然のままの自分を受け入れることで、
やがて本当の「咎なき誉れ」を得るのです。

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