周易64卦384爻占断
150、天雷无妄(てんらいむもう)上爻
◇ 无妄とは何か?
天雷无妄(てんらいむもう)は、「妄(みだ)りなきこと」――私心・作為を離れて、天の理に自然と従うあり方を象徴します。
上卦は「天(乾)」、下卦は「雷(震)」。天の大道に、雷が時に応じて動く象であり、正しく時にかなって動くことが无妄の本義です。
無辜であること、虚飾を離れること、そして「正に非ざれば无妄に非ず」という厳しさを伴い、わずかな偏りや過剛・過柔も妄とみなされます。
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◆ 卦全体が教えてくれること
无妄の卦は、自然無為の正しさを説きます。
正しい心で時にかなって動けば、事はおのずから成り、妄(もう)を混ぜれば、思いがけぬ災(わざわい)を招く。
ゆえに、急がず、奪わず、分を守って静かに時を待つことが肝要です。
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◆ 上爻の爻辞と解釈
【爻辞】
「无妄(むもう)行けば眚(わざわい)有(あ)り。利(よ)ろしき攸(ところ)无(な)し。」
【象伝】
「无妄(むもう)の行くは、窮(きわ)まるの災(わざわい)なり。」
解釈:
上爻は卦の極点にあり、不中不正となって「正に非ざれば眚有り」の戒めに真っ向から当たります。
ここでいう「行けば」とは、天の時機を顧みずに妄りに動くこと。結果は「眚(わざわい)有り」、さらに「利ろしき攸無し」と断じられ、少しの益もありません。象伝が「窮まるの災」と言うのは、行き詰まりの果てに自ら禍を招く意です。
ただし、この妄動は単なる放縦だけを指しません。
“无妄”という観念に執着すること自体が新たな妄となる――ここに上爻の深い戒めがあります。
無欲・無私を求めるあまり、それに囚われ、かえって不自然・不仁に至る(たとえば、地位や家族を顧みない極端な「無欲」実践)。これは「无妄ならざる无妄」であり、名相への執着という作為に他なりません。
したがって、上爻は「欲の妄」も「无妄執着の妄」もともに退け、時と分にかなう自然へ還れ、と厳命します。なお、この爻が変ずれば沢雷随となり、むしろ従う(随う)ことで妄を離れる示唆が読み取れます。
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◆ 含まれる教え
- 天の時を顧みずに動けば、必ず災いとなる。
 - 「无妄」への観念的執着もまた妄。名相に囚われる心を離れること。
 - 正しさは“時と分”に根ざす。過剛・潔癖・先走りはいずれも妄動である。
 - 行き詰まりを感じたら、止まり、従い、聴くこと(随の徳)へ転じよ。
 
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◆ 仕事
この爻を得た時の仕事は、積極策がすべて裏目に出やすい局面です。
判断違い・見込み違いに気づかぬまま先頭に立ち、功を急げば、大きな蹉跌を招きます。
新規拡張・強引な巻き取り・拙速な改革は禁物。計画は一度「止め」、時勢に随って調律するのが要諦です。
交渉も押せば崩れる相で、まず相手の時機・事情に従い、呼吸を合わせること。爻変(沢雷随)の示唆どおり、「従う力」を主軸に据えて損失極小化を図るべきです。
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◆ 恋愛
婚姻・恋愛は、潔癖・理屈先行・過度の理想が障壁となりがちです。
相手に熱意が乏しい、あるいは自分が“正しさ”に囚われて柔らかさを失い、関係が進展しません。
周囲が急かしても無理に進めれば凶。
ここは歩を止め、相手の歩幅に随い、自然の成熟を待つのが最善です。
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◆ 天雷无妄(上爻)が教えてくれる生き方
「无妄行けば眚有り」。
正しいことでも、時を外せば妄となる――これが上爻の急所です。
欲の妄を捨てるだけでなく、「无妄」という名目にしがみつく妄も捨てる。
名相・理屈・潔癖に固まらず、柔らかに時と分に随うこと。
行き詰まりを前にしては、なお走らず、一度止まり、聴き、従う。
それが妄動を鎮め、自然と道へ帰る唯一の径です。
上爻は、止める勇気と随う知恵をもって、真の无妄へ復せよ――と教えています。
  
  
  
  

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