周易64卦384爻占断
267、沢地萃(たくちすい)3爻
◇ 萃とは何か?
沢地萃(たくちすい)は、「中心に人心が集まり、まとまりが形になる」卦です。
集まること自体が目的ではなく、どこへ集まるか(誰を中心に据えるか)で吉凶が分かれます。萃では五爻が中心で、そこへ集うほど秩序が立ち、運が整います。
三爻は、その「中心へ行くべきだ」と分かっていながら、途中で心が揺れて足が止まりやすい位置です。初爻と似ていますが、三爻は「迷いの質」がよりはっきり表に出ます。
◆ 卦全体が教えてくれること
萃は“集う時運”ですが、集い方を誤ると、集まろうとするほど乱れます。
三爻は、中心(五爻)へ行けば整うのに、身近な引力(四爻)に引かれて踏み切れず、ため息が出る――そういう局面です。
ただし救いもあります。
この卦では、中心(五爻)は本来、来る者を拒みません。だからこそ、行くべき所へ行ければ「咎なし」が成立します。問題は、行けずにグズグズする“小ささ”が残ることです。
◆ 3爻の爻辞と解釈
【爻辞】
「萃如(すいじょ)。嗟如(さじょ)。利(よろ)しき攸(ところ)なし。往(ゆ)けば咎(とが)なし。小なれば吝(りん)。」
【象伝】
「往(ゆ)けば咎(とが)なきは、上巽(したが)えばなり。」
● 解釈
「萃如」は“集まろうとする”姿ですが、実際にはうまく集まり切れていません。
続く「嗟如」は、その状態に対する嘆き――つまり、行きたいのに行けない、決めたいのに決められないため息です。
ここで重要なのは、「利しき攸なし」です。
中途半端なままでは、どこにも利益が生まれない。動いているのに成果が出ず、気持ちだけが消耗する――それが三爻の苦しさです。
しかし、爻辞はそこで終わりません。
「往けば咎なし」と、出口をはっきり示します。
“行く”とは、迷いを断ち、中心(五爻)へ向かう行動に移すことです。そうすれば咎はない。なぜなら象伝が言う通り、上(中心)は「巽えばなり」――受け入れる用意があるからです。拒絶を恐れて立ち止まっているだけで、実際には道は閉じていないのです。
ただし最後に「小なれば吝」。
ここが三爻のきつい裁きです。
行けば救われるのに、怖さ・体裁・目先の事情に負けて踏み切れない。その“小ささ”が残ると、みっともなさや後味の悪さ(吝)が出る。
大きな咎には至らなくても、悔いが残りやすいのです。
また、この爻は感応・引き合いの作用が強く出やすく、身近なこと・目先の魅力に心が寄りやすい面があります。
本筋へ行くほど整うのに、別の引力に引かれて遅れ、あとで「やはりあちらだった」となる――この筋を避けるのが要点です。
◆ 含まれる教え
- 行くべき中心は分かっているのに、足が止まると嘆きが増える
- 中途半端は「利しき攸なし」――動いても実りが出にくい
- しかし中心は拒まない。行けば「咎なし」になりうる
- 小さく迷い続けると、吝(後味の悪さ・みっともなさ)が残る
- 本筋よりも目先の引力に引かれないことが大事
◆ 仕事
仕事では、方針や優先順位が揺れて、進めたいのに進めない停滞が出やすい時です。
「利しき攸なし」は、準備や調整を繰り返すだけで成果に結びつきにくいことを示します。
ただし、上が受け入れる(巽う)象があるため、筋の良い本命ルートに戻って動けば、咎は大きくならない。
迷いを引きずらず、決めたら一段深く踏み込む。新規拡張や横道より、まず本筋の整備が吉です。
◆ 恋愛
恋愛・縁談では、気持ちが揺れ、関係が中途半端になりやすい象です。
周囲の事情や別の要素に心が動き、まとまりかけた話が伸びたり、途中で別方向へ引かれて崩れたりしやすい。
「往けば咎なし」は、曖昧さをやめて、誠実に本筋へ進むなら傷は深くならない、という意味です。
反対に、迷いを長引かせると「吝」――後味の悪さや気まずさが残りやすいでしょう。
◆ 沢地萃(3爻)が教えてくれる生き方
三爻が教えるのは、「行けるのに行かない」迷いが一番損をするということです。
中心は拒まない。
だから、恐れや体裁で縮こまらず、本筋へ向かって一歩踏み出す。
小さく迷い続けて吝を残すより、決めて動き、咎を避ける。
“集まるべき所へ集まる”――萃の道を、三爻はこの一点を教えています。

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