265、沢地萃(たくちすい)初爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

265、沢地萃(たくちすい)初爻

◇ 萃とは何か?

沢地萃(たくちすい)は、「人や心が中心へ集まる」働きを示す卦です。

上卦は兌(沢)、下卦は坤(地)で、地の上に水が集まるように、人々が自然と一つの所へ寄っていく象を持ちます。

萃において最も重要なのは、「集まる中心がどこか」です。

この卦では、その中心は明確に五爻にあり、そこへ向かって集うことで秩序とまとまりが生まれます。

初爻は、その集まりの最初にあたりますが、ここでは

志は正しいが、縁と力が足りず、中心へ行けない

という、萃の中でも特に繊細な局面が描かれます。

◆ 卦全体が教えてくれること

沢地萃では、各爻は主爻である五爻との関係によって意味づけられます。

五爻は、人が集うべき中心であり、秩序の核です。

初爻は、その五爻に対して、

  • 応でもなく
  • 比でもなく
  • しかも最下位で力が弱い

という位置にあります。

しかし、ここで誤ってはならないのは、

初爻には最初から五爻へ向かおうとする孚(誠意・正しい志)がある

という点です。

迷っているのではありません。

行き先は分かっている。

ただ、行こうとしても届かない。

この「志はあるのに行けない」ことが、初爻の苦しさであり、乱れの原因です。

◆ 初爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「孚(まこと)有(あ)りて終(お)えず。

乃(すなわ)ち乱(みだ)れ乃(すなわ)ち萃(あつ)まる。

若(も)し號(よば)えば一握(いちあく)笑(わら)いを為(な)さん。

恤(うれ)うる勿(なか)れ。

往(ゆ)けば咎(とが)なし。」

【象伝】

「乃(すなわ)ち乱(みだ)れ乃(すなわ)ち萃(あつ)まるは、

其(そ)の志(こころざし)乱(みだ)るるなり。」

● 解釈

「孚ありて終えず」とは、

誠意も正しさもあるが、最後まで行き着けないという状態を表します。

初爻は、五爻に集うべきだという理解も、その意志も持っています。

しかし、応でも比でもなく、位も低く力も弱いため、思うように近づけません。

この「行こうとして行けない」状態が、

「乃ち乱れ乃ち萃まる」と表現されます。

ここで言う「乱れ」とは、方向を見失った迷いではありません。

行き先は分かっている。

それでも行けないために、心が焦れ、動きが定まらず、結果として乱れが生じるのです。

象伝が「其の志乱るるなり」と言うのも、

志そのものが邪であるという意味ではなく、

志を遂げられないことによって、心が乱されていることを指しています。

では、どうすればよいのか。

そこで示されるのが、

「若し號えば一握笑いを為さん」です。

これは、黙って苦しみを抱え込むのではなく、

五爻へ向かおうとする志を、声に出して示すならば、

大事に至る前に、拍子抜けするほど容易に受け入れられ、和やかに収まる、という意味です。

「一握」とは、ほんの少しのきっかけで、ということです。

だからこそ、

「恤うる勿れ。往けば咎なし。」

と結びます。

力が弱く、縁が薄くても、正面から誠意を示して進むなら、大きな過失にはならない。

これが、初爻の判断です。

◆ 含まれる教え

  • 五爻へ向かう志は、最初から正しい
  • 乱れは迷いではなく、「行けない苦しさ」から生じる
  • 力や縁が足りなくても、孚そのものは失われていない
  • 志を言葉にして示すことが突破口になる
  • 正面から進めば、致命的な咎には至らない

◆ 仕事

仕事では、目指す方向や上位の方針は明確なのに、

立場や権限が足りず、そこへ直接関われない状態です。

遠回りや様子見を続けるほど、焦りが増し、動きがちぐはぐになりがちです。

しかしこの爻が勧めるのは、策や裏道ではなく、

誠意をもって意思を示し、正面から関与を願い出ることです。

力不足であっても、その姿勢が正しければ、大きな失敗にはなりません。

◆ 恋愛

恋愛・縁談では、相手も方向も定まっているのに、

距離や立場の問題で踏み出せず、心が乱れる状態です。

曖昧な態度を続けるほど、状況は複雑になります。

思い切って気持ちを伝えることで、意外なほど軽く話が進む可能性があります。

◆ 沢地萃(初爻)が教えてくれる生き方

初爻が教えるのは、

「志が正しくても、縁と力が足りず行けない時はある」

という現実と、その超え方です。

方向を疑う必要はありません。

迷っているのは道ではなく、立場です。

だからこそ、誠意を失わず、声を上げ、正面から進む。

弱くても、縁が薄くても、

孚をもって動けば、咎はない。

それが、沢地萃・初爻の生き方です。

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