230、水山蹇(すいざんけん)2爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

230、水山蹇(すいざんけん)2爻

◇ 蹇とは何か?

水山蹇(すいざんけん)は、「行き詰まり」「障害」「進退の困難」を象徴する卦です。上卦は坎(水)で険、下卦は艮(山)で止を表し、険の前で足が止まる象となります。蹇は、ただ嘆いて立ち尽くすための卦ではなく、進めば傷つきやすい局面で、いかに身を保ち、いかに難を解くべきか、その順序と立場の分を教えます。ここで肝心なのは「焦って突破しない」ことと、「しかし立場によっては難を担う責任から逃げられない」ことです。二爻はまさに後者で、君(五爻)に応じて難局を背負う臣の位として、私事ではない苦労を引き受ける爻です。

◆ 卦全体が教えてくれること

蹇の卦は、物事が思い通りに運ばず、正面突破ほど損耗が増す状況を示します。だから本来は、止まって時機を待ち、迂回し、力を蓄えるのが筋になります。ところが、すべての立場が「待つ」だけで済むわけではありません。難があると知りつつも、役目ゆえに前へ出て支えねばならぬ者がいます。二爻と五爻はその典型で、蹇を解く側に立つからこそ、苦しみを苦しみとして甘受し、なお職分を尽くす道が問われます。

◆ 二爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「王臣(おうしん)蹇蹇(けんけん)。躬(み)の故(こ)に匪(あら)ず。」

【象伝】

「王臣(おうしん)蹇蹇(けんけん)たるは、終(つい)に尤(とが)めなきなり。」

● 解釈

二爻は「王臣」として、君位の五爻に応じ、天下(あるいは組織・家)の蹇難を解くために動かねばならぬ立場です。進めば難みがあると分かっていても、初爻のように手を拱いて待つことは許されず、難を難として引き受けるほかない。これが「蹇蹇」であり、障害が一つでなく重なり、苦労が長引きやすい象でもあります。けれどもその苦労は「躬の故に匪ず」――自分の私利私欲のためではない。ゆえに象伝は、たとえ辛酸が甚だしくとも「終に尤めなきなり」と断じ、責められるべきではなく、むしろ道として筋が通ることを示しています。ここでは、身を守るために逃げるよりも、職分を守るために踏みとどまって支えることが正となり、苦しみを軽々しく避けようとすると、かえって収拾がつかなくなるという警戒が含まれます。

◆ 含まれる教え

この爻が教えるのは、困難のただ中で「自分のためではない苦労」を背負う局面の心得です。苦しみが続くからといって投げ出せば、難は解けず、責めも招きやすい。だからこそ、私心を離れて腹を据え、できることを一つずつ積み重ねることが要ります。蹇の時に功を求めるのは容易ではありませんが、正しい苦労は、最後に咎を免れ、筋の通った評価へつながります。

◆ 仕事

仕事では、組織の難局・停滞案件・火消し役のような形で、負荷が集中しやすい時を表します。自分の企図で招いた問題ではないのに、責任の線上に立たされ、粉骨砕身せねばならない局面が起こり得ます。ここでの要点は、派手に打開しようとせず、損耗を増やさない段取りで支え切ることです。やむを得ず進める用件があるなら、時機を改め、より動きやすい段階(五爻・上爻の時)まで延ばせるものは延ばし、今は崩れを止めることに力を注ぐのが得策です。周囲の事情で退けない場合ほど、私心を交えず、筋道と記録を整えて耐えることが「終に尤めなき」へつながります。

◆ 恋愛

恋愛では、自由に進めにくい事情――家・仕事・責任・周囲のしがらみなどが重なり、心のままにならぬ象です。相手のため、あるいは関係を守るために、自分が負担を引き受ける形になりやすく、軽々しく楽な方へ流れると、後で関係全体が行き詰まりやすい。ここは、焦って決断を急がず、状況が整うまで「動ける範囲で誠実に支える」ことが肝要です。どうしても話を進めねばならぬなら、時期を置き、障害が緩む局面を待ってから進めるのがよいでしょう。

◆ 水山蹇(二爻)が教えてくれる生き方

二爻が示す生き方は、「逃げれば楽に見えても、筋が立たぬ苦しみが残る。筋を守って苦労を担えば、咎なく収束へ向かう」という一点にあります。自分のためではない重荷を背負う時、心は荒れやすい。だからこそ、私心を削り、段取りを整え、耐えるべきところを耐える。蹇の中でこの道を選び取る者は、見かけの前進よりも、崩れを防ぐ静かな力によって、最後に名を損なわず、難局の出口を手繰り寄せていくのです

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