周易64卦384爻占断
225、火沢睽(かたくけい)3爻
◇ 睽とは何か?
火沢睽(かたくけい)は、「背く」「隔たる」「一致しない」ことを象徴する卦です。上卦は離(火)、下卦は兌(沢)であり、火は上へ燃え上がり、沢は下へ潤い沈むため、本質的に方向が逆で、相い和しにくい象を持ちます。睽は争いそのものを勧める卦ではありません。むしろ、心が離れやすい時、立場・意見・価値観が食い違う時、正面から進めば衝突する時において、どう背きを処し、どう和を保つかを教える卦です。強引な一致を求めれば破綻し、距離を見極めて対処すれば咎を免れる――その「分かれてなお道を失わぬ智慧」が睽の核心です。
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◆ 卦全体が教えてくれること
睽の卦は、和合が困難で、正攻法が通りにくい一方、完全な断絶ではないという状況を示します。重要なのは「どう一致するか」ではなく、「ズレたまま道を保ち、最後に結び直す道筋を失わない」ことです。三爻は、睽の不和が複雑化し、応爻だけでなく比爻(隣接関係)の妨げまで重なって、誤解・牽制・制止が入り乱れる局面を描きます。しかし同時に、「初めはうまくゆかずとも、終わりには結び直す余地がある」ことも明示され、背反状況の中で“終局を作る”ための忍耐と節度を教えます。
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◆ 三爻の爻辞と解釈
【爻辞】
「輿(よ)の曳(ひ)かるるを見(み)る。その牛(うし)掣(とど)めれ、その人(ひと)天(かみき)られ且(か)つ劓(はなき)らる。初(はじ)めなくして終(おわ)りあり。」
【象伝】
「輿(よ)の曳(ひ)かるるを見(み)るは、位(くらい)当(あた)らざるなり。初(はじ)めなくして終(おわ)りあるは、剛(ごう)に遇(あ)うなり。」
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● 解釈
三爻では、応爻との睽だけでなく、比爻(近しい者)との関係が強く絡み、睽反が複雑になります。そのため爻辞は、輿が曳かれ、牛が掣められ、人が髪を切られ鼻を削がれるという、阻止・牽制・侮辱の象を重ねて表現しています。
ここで「輿」は、進もうとするものが“後ろから曳き戻される”状態を示し、比爻の力によって足を取られる象となります。「牛が掣められる」は、前に出ようとする動きが“前から制止される”ことを示し、これもまた近しい位置関係から来る妨げです。つまり、後ろからは曳かれ、前からは止められ、身動きが取りにくい。しかもその結果、応ずべき相手(上爻)とは相睽き、意思疎通が成立しにくくなります。
上爻は離の極にあって烈しさが表に出やすく、事情を静観できず、怒りによって制裁的な反応(髪を切る・鼻を削ぐ=面目を傷つける)へ傾きやすい。三爻が「位当たらず」とされるのは、こうした誤解と紛議を招きやすい立ち位置にあるためで、正しい手順・正しい筋道で整えることが難しく、外から見ればなおさら非難・曲解を受けやすいのです。
しかし爻辞は同時に「初めなくして終わりあり」と言い、象伝はそれを「剛に遇う」――すなわち、最終的には剛健な相手(上爻)と出会い直し、結び目が回復する可能性を示します。初動は不利で、誤解が先に立つ。けれども、焦って動けばさらに傷が深くなるため、ここでは騒がず、比爻の妨げと外の剛の反応を見誤らず、時間と節度によって“終局を作る”ことが肝要になります。
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◆ 含まれる教え
この爻が伝える教訓は明確です。近しい者の義理や日常の関係(比爻)ほど、時に足を取ります。妨げが複線化している時は、正面突破が最も損を招きやすい。誤解されやすい立場にある時ほど、弁明や策動で挽回しようとせず、沈黙と整理によって局面を落ち着かせることが必要です。傷つけられる象が出ていても、それは“終わりが作れない”ことを意味しません。むしろ、初めの不利を受け止め、過不足なく整える者にだけ、終わりの回復が与えられる――それが「初めなくして終わりあり」の骨子です。
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◆ 仕事
仕事では、外部からの誤解・評価のねじれ、また身近な同僚・関係者の牽制や足の引っ張りが重なり、物事が停滞しやすい時です。正しい意図で進めていても、手順が整わないまま表に出ると「筋が悪い」と見られ、面目を損ねる象が出ます。したがって、新規の立ち上げ、交渉の強行、目立つ拡張は避け、内部の整理、権限と役割の線引き、誤解が生じにくい形への文書化・手続き化を優先すべきです。現在すでに争いがあるなら、今後に疑惑が解けて和解へ至る余地もありますが、それは“騒がず、軽率に動かず、時を待つ”ことを条件として開けます。
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◆ 恋愛
恋愛では、当人同士の問題というより、周囲(近しい者)の干渉や牽制、誤解が間に入りやすい象です。噂や憶測が先に立ち、面目を傷つけられるような出来事(言葉の刃、評判の傷)が起こりやすいので、感情で反応すると関係はさらにこじれます。ここは「初めなくして終わりあり」に従い、最初は噛み合わずとも、節度を守り、距離と時間で整えていけば、最後に結び直す余地が残ります。特に、出戻り・別居中・一度離れた縁の再接続には吉意を含みますが、急いで形を整えようとすると反発と傷が増えるため、静かに状況を鎮めてから歩を進めるべきです。
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◆ 火沢睽(三爻)が教えてくれる生き方
三爻が教える生き方は、背きの中で「終わりを作る力」を失わないことです。妨げが複雑に絡む時、正しさだけで押し切ろうとすれば、かえって曳き戻され、止められ、傷つけられる。しかし、騒がずに節度を守り、近しい妨げと外の烈しさを見誤らず、時と筋道を整えれば、初めは不利でも終局で結び直すことができる。睽の時に必要なのは、勝つことではなく、道を失わずに“和へ至る出口”を守ること――この爻は、その現実的な忍耐と慎みを示しています。

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