174、坎為水(かんいすい)上爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

174、坎為水(かんいすい)上爻

◇ 坎とは何か?

坎為水(かんいすい)は、危険・苦難・試練を象徴します。

水はどんな形にも従い、どんな障害も回り道をして進む。

その流れは一見柔らかいが、岩をも穿つほどの持久の力を秘めています。

この卦は「重坎(じゅうかん)」――すなわち、内にも外にも危険が重なった状態。

しかし、危険の中にこそ人の真価が現れる。

耐え、慎み、誠を守る者のみが、暗き谷底から光を見出すのです。

◆ 卦全体が教えてくれること

坎の卦は、「危険の中にあっても道を失うな」という教えです。

人生には、避けようのない試練があります。

それを逃げずに受け止め、誠実に道を守る者だけが、

困難を越え、安らぎを得ることができる。

水は、形を変えても本質を失わない。

人もまた、逆境の中でこそ真の徳を試されるのです。

◆ 上爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「係(つな)ぐに徽纆(きぼく)を用(もち)う。叢棘(そうきょく)に寘(お)く。三歳得(え)ず。凶(きょう)。」

【象伝】

「上六(じょうりく)、道(みち)を失(うしな)う、凶(きょう)三歳(さんさい)なり。」

解釈:

上爻は、坎為水の最上位――つまり、重険の極点にあります。

陰柔の性をもって、危険の極みに立つため、もはや自らの力では支えきれません。

「徽纆(きぼく)」は縄を意味し、罪を犯した者を縛める象。

「叢棘(そうきょく)」は荊の繁み、すなわち牢獄の比喩です。

「三歳得ず」とは、三年にわたり自由を得られぬこと、すなわち長期の拘束を示しています。

これは、道を踏み外して凶に至った象であり、

坎の中でも最も深い「失道(しつどう)」の状態を表します。

象伝の「道を失う、凶三歳なり」とは、

その誤りが長く続き、回復が困難な状態を示しているのです。

しかし、この凶は「永遠の滅亡」ではありません。

人がどん底まで堕ちた時こそ、再生の契機がある。

坎の底には、まだ「水の流れ」がある――

すなわち、絶望の裏にこそ、次の希望の芽が隠れているのです。

◆ 含まれる教え

  • 道を失えば、いかに賢くとも危うい。
  • 絶望の中にも、なお再生の機は潜む。
  • 凶を恐れるより、己の心を正すことを恐れよ。
  • 耐えて忍ぶ者だけが、再び光を仰ぐ。

◆ 仕事

この爻を得た時は、運気の底、凶の極みにあります。

事業は行き詰まり、経済的破綻や倒産に追い込まれる可能性が高い。

新しい企画や拡張は絶対に避けるべきです。

打開を図っても失敗し、状況を悪化させるだけ。

もはや表立った行動ではなく、一時退いて内を整えるべき時です。

隠退・休業・撤退も視野に入れ、現状の損を最小限に抑えることが肝要です。

もし助けを求めるなら、外ではなく内に求めること。

誠実な反省と、失敗の中から学ぶ姿勢が、次の運を開く唯一の道です。

◆ 恋愛

婚姻・恋愛ともに凶です。

縁が薄く、話は進まず、仮に強引に進めても破局や不名誉を招きます。

情に溺れて判断を誤ると、恥をかいたり、社会的信用を損なう恐れがあります。

また、陰の気が強く、色情による過ちを犯しやすい時。

この時期に新しい恋を求めるのは凶。

一時の情熱よりも、心の静けさを守ることが肝心です。

既に関係にある場合も、疑念やすれ違いが深まりやすく、

冷静な話し合いより、距離を置いて自省する方が良いでしょう。

◆ 坎為水(上爻)が教えてくれる生き方

この爻が教えるのは、「絶望の淵にあっても、なお心を正せ」という生き方です。

人は誰しも、誤り、迷い、道を失うことがあります。

しかし、それを悟り、改める勇気を持つ者だけが再び歩き出せる。

坎の上爻は、危険の極にありながら、

なお“次の流れ”を内に秘めています。

それは「終わり」ではなく、「転生への門口」。

すべてを失ったと思う時、

実は新たな出発が静かに始まっている――

それが、この爻が示す「坎の最後の光」なのです。

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