周易64卦384爻占断
157、山雷頤(さんらいい)初爻
◇ 頤とは何か?
山雷頤(さんらいい)は、「養う」「育む」を意味します。
上卦は山(艮)で止まり、下卦は雷(震)で動く。
動と静が内外に備わり、人が何によって養われ、また何を養うべきかを問う卦です。
頤(おとがい)は口を意味し、「口をもって物を養う」象。
しかし単に食物を摂るだけでなく、心や徳をも養うことの重要さを説いています。
内に正を守り、外に道を施す――これが頤の本旨です。
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◆ 卦全体が教えてくれること
頤の卦が教えるのは、「正しい養い方・養われ方」です。
自己を修めるにも、人を導くにも、何を摂り、何を拒むかが肝要。
欲にまかせて不適なものを取り込めば身を損ね、
正しい徳に基づいて養えば、長久の栄を得ます。
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◆ 初爻の爻辞と解釈
【爻辞】
「爾(なんじ)の霊亀(れいき)を舍(す)てて、我を観(み)て頤(おとがい)を朶(た)る。凶。」
【象伝】
「我を観(み)て頤(おとがい)を朶(た)るは、また貴ぶに足らざるなり。」
解釈:
この爻は、「爾(なんじ)」と「我(われ)」という対照的な呼びかけがなされており、易の爻辞の中でも稀な表現です(同例は風沢中孚の二爻のみ)。
ここで「我」とあるのは上爻を指し、「霊亀(れいき)」とは霊力を持つ尊い亀――つまり自分自身の持つ天与の資質を象徴しています。
初爻は下卦の動の主であり、才能と行動力を備えた位置。
しかし、その力を活かさずに「他人の花を羨む」ように、
自らの霊亀を捨て、他を見上げて涎を垂らすような姿勢に陥る。
これを「我を観て頤を朶る(たらす)」と言い、自らを養う正しい道を見失った状態を示します。
頤の道は「自分に適ったものを摂取する」こと。
他を羨み、身の分を忘れて外に求めることは最も凶です。
象伝の「また貴ぶに足らざるなり」とは、
そのような卑しき心が、霊亀の徳(自己の尊厳)を台無しにするという戒めです。
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◆ 含まれる教え
- 己の持つ資質・位置を尊重すること。 他を羨む心は道を失わせる。
- 真の養いは外にあらず、内にある。 自らの徳・知恵を信じて磨くべし。
- 比較・嫉妬・模倣は養いを歪める。 自分に適さぬものは毒になる。
- 謙虚な内省が、真の豊かさを生む。
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◆ 仕事
この爻を得た時、仕事運は迷いと分散の時です。
他人の成功や職種に惹かれ、自分の専門や環境を軽んじる傾向が出やすい。
「隣の芝は青い」と思って転職・転業・投資などに手を出すと、
未熟ゆえに大敗を喫する危険があります。
今は新しいことを追わず、旧事を守り、足元を固める時。
現状の業務・基礎の充実こそ、真の養いになります。
忠告や助言を聞く耳を持ち、外見より実質を重んじることが吉です。
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◆ 恋愛
恋愛・婚姻においても、目移りの象です。
他の人や新しい出会いに惹かれ、現関係を軽んじる傾き。
一見魅力的でも、相手を深く理解せずに進めば凶。
この卦の変卦は「山地剝」。
それは破鏡の憂き目(離別・崩壊)を意味します。
一時の情に流されず、今ある縁・家庭を大切に守るべき時です。
誠実さを取り戻せば、凶を避けることができます。
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◆ 山雷頤(初爻)が教えてくれる生き方
この爻が教えるのは、「自分自身を正しく養う」ことの尊さです。
人は誰しも、他人の華やかさや成果に惹かれがちです。
しかしそれは、自らの霊亀(才能・天与の徳)を捨てることに等しい。
真の養いは、外にではなく、自身の中にあります。
他を羨まず、自らの道を静かに磨き続ける。
それが頤の初爻の教えであり、
「凶」の中に潜む最も深い智恵――内を養い、己を尊ぶ道なのです。


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