周易64卦384爻占断
147、天雷无妄(てんらいむもう)3爻
◇ 无妄とは何か?
天雷无妄(てんらいむもう)は、天地自然の法則に従い、作為なく真実に生きることを意味します。
上卦は「天(乾)」、下卦は「雷(震)」で、天が動き、雷が応じる象。
つまり、天の理に従い、正直に動くことが本来のあり方です。
「无妄」とは、「妄(みだ)りなきこと」。
私心や虚偽を離れ、ただ天命のままに生きるとき、人は過ちを犯さず自然と吉を得ます。
しかし、もし理に背き、軽挙妄動すれば、思いがけぬ災い(无妄の災)を受けることになります。
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◆ 卦全体が教えてくれること
无妄の卦が教えるのは、「真実にして無心、天に順うことこそ正道」という教えです。
人は善意や努力の中にも、知らず知らず「作為」を混ぜてしまうもの。
それが“妄(みだ)り”であり、思いがけぬ誤解や災厄のもととなります。
无妄の時に大切なのは、
「動くべきでない時に動かず、語るべきでない時に語らぬこと」。
正しい心であっても、時を誤れば凶となるのです。
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◆ 三爻の爻辞と解釈
【爻辞】
「无妄(むもう)の災(わざわい)。或(ある)いは之(これ)に牛(うし)を繋(つな)ぐ。行人(こうじん)の得るは、邑人(ゆうじん)の災(わざわい)。」
【象伝】
「行人(こうじん)牛(うし)を得るは、邑人(ゆうじん)の災(わざわい)なり。」
解釈:
三爻は陽位に陰が居り、不正で不中の位置。
そのため、无妄の本来の清らかさを保てず、“无妄の災”の象を現します。
ここでいう「災(わざわい)」とは、自分の行いによって生じたものではなく、
外から不意に降りかかる災難を指します。
爻辞の故事――
ある人が道端の木に牛を繋いで出かけた。
すると、通りすがりの旅人がその牛を盗んで行ってしまった。
牛の持ち主は近くの村人が盗んだと疑いをかける。
結果として、
牛を失った者も、疑われた村人も、どちらも「无妄の災」を被ることになる。
旅人(行人)は何の計略もなく牛を得て、邑人(村人)は何の罪もないのに災いを受ける。
――これが、「无妄の災い」の典型です。
人の悪意によらず、ただ運命のめぐり合わせによって起こる不条理を意味しています。
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◆ 含まれる教え
- 无妄の災いとは、自ら求めずとも訪れる不可避の試練である。
- 善人にも悪人にも降りかかることがあり、理屈では説明できない。
- 他人との関わりが原因で災いを受けることもある。
- この時期は、慎み深く、無用な関係を避けるのが最良の守りとなる。
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◆ 仕事
この爻を得た時、仕事運は外的な不運や誤解に要注意です。
善意からした行動が裏目に出て、
思いがけぬ責任を問われたり、他人の過失の責めを負わされる危険があります。
特に、「一時的に預かる」「代役を務める」「他人の代理で動く」など、
自分の本分以外のことを引き受けると災いが生じやすい時期です。
また、善意で助けた相手から誤解を受けるなど、親切が裏目に出る暗示もあります。
今は積極的な行動や拡張ではなく、
守りと静観を第一とすべき時。
不用意な発言や軽率な契約は避けましょう。
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◆ 恋愛
恋愛や婚姻においても、「无妄の災」は他人の干渉によるトラブルを暗示します。
本人たちが純粋であっても、
親や仲人、後見人など周囲の思惑によって事が動き、
思わぬ縁談や政略的な結婚に巻き込まれやすい時です。
「行人が牛を得る」ように、
他人が利益を得て、自分は誤解を受けるということもあります。
恋愛でも第三者の存在(ライバル、噂、誤解)が災いとなるでしょう。
軽率な関係、曖昧な約束、勢いの結婚は避けるべきです。
誠実であっても、時を誤れば凶となるため、静かに時機を待つのが吉です。
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◆ 天雷无妄(第三爻)が教えてくれる生き方
この爻が示すのは、「不可避の災いをいかに受けとめるか」という人生の姿勢です。
人は、自分の行いが正しくても、外の力によって試されることがあります。
その時、怒りや疑念に囚われれば、さらに妄(みだ)りを重ねてしまう。
无妄の道とは、
理不尽な運命の中にあっても、天の理を信じ、誠実さを失わぬことです。
疑われても、損をしても、正しき心を曲げぬ者こそ、やがて天に守られる。
「无妄の災」は、天が人に与える“信の試練”でもあります。
静かに己を守り、誠を保つことで、
やがて災いは過ぎ、真の平安が訪れるのです。


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