146、天雷无妄(てんらいむもう)2爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

146、天雷无妄(てんらいむもう)2爻

◇ 无妄とは何か?

天雷无妄(てんらいむもう)は、「妄(みだ)りなきこと」、すなわち私意を去って天の理に従うことを意味します。

上卦は天(乾)、下卦は雷(震)。

雷が天に従って動く象は、自然の摂理に従い、作為を離れた真実の行動を象徴します。

「无妄」とは、虚偽や打算、策略を棄て、“然るべきことを然るべきようにする”自然の誠を重んずる生き方です。

欲によらず、名によらず、天の時と理に順う時、吉運はおのずと到来します。

◆ 卦全体が教えてくれること

この卦が教えるのは、「無心の誠」こそ天意と通じる道であるということ。

思惑を離れ、天命に従って行動すれば、

報酬や成功を追わずとも、自然に成果を得る時期です。

しかし、その「無妄」は容易ではありません。

人はつい利益を求め、見返りを期待して動いてしまうもの。

天雷无妄は、そうした人間の“妄”をいさめ、

純粋な誠実さに立ち返ることの大切さを教えています。

◆ 二爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「獲るに耕さず。畬(こなたつく)るに菑(あらきばり)せず。則ち往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。」

【象伝】

「獲るに耕さずとは、未(いま)だ富(と)まざるなり。」

解釈:

「獲るに耕さず」とは、利益を目的として耕すのではなく、

耕すことそのものが自然の務めであるという意です。

「菑(あらきばり)」は荒れ地、「畬(こなた)」はすでに耕された田。

すなわち、「新しく切り開くのでもなく、再び古田を耕すのでもない」ということ。

それは、「利益や成功を見込んで行うのではなく、ただ天職として行う」という姿勢を表しています。

この自然体こそが“无妄の誠”であり、私心を交えずに動くことが最も天に適う行いなのです。

「往く攸あるに利し」とは、

こうした誠実さで進むなら、行くべきところに利がある——つまり、道理にかなえばおのずと通ずるという教えです。

象伝の「未だ富まざるなり」とは、

富を目的とせぬため、現世的な利益には恵まれにくいことを示します。

しかしそれは損ではなく、“富を求めぬ潔さ”こそが真の富であるという逆説的な示唆です。

この爻は、初爻の“天性の誠”を受け継ぎながらも、

より一層「行動の純粋性」を問う段階にあります。

◆ 含まれる教え

  • 成功や報酬を求めず、ただ務めとして行うことが真の行いである。
  • 天の理に従えば、外からの富は求めずとも十分に満たされる。
  • 作為を混ぜず、自然に発する誠をもって生きることが最大の徳。
  • “富まざる”ことを恐れず、天命に任せて行うべし。

◆ 仕事

この時期の仕事運は、「誠実な働きが後に実を結ぶ」時です。

報酬や利益を狙わず、職務を淡々と果たすことが最良の道。

努力の割に成果が見えないかもしれませんが、

それは「未だ富まざる時」であり、天意が試している段階です。

焦って成果を求めれば、却って混乱や損失を招きます。

事業や取引においては特に注意が必要で、

計画・投資・商談などで利益を追うと錯誤をきたす恐れがあります。

利よりも信義を重んじ、誠実を守ることが最良の選択です。

◆ 恋愛

恋愛・婚姻においては、感情よりも自然の成り行きを尊ぶこと。

「成すべきだから成す」ような静かな縁の形が良い時です。

しかし、女性に多情の象があり、感情の揺らぎや過去の関係に悩む傾向があります。

成り行きに任せることで波風は避けられますが、

男性にとっては不安定な恋情に巻き込まれる暗示もあります。

求めすぎず、誠の心で相手を尊重することが最善の道です。

◆ 天雷无妄(二爻)が教えてくれる生き方

この爻が教えるのは、「報いを求めぬ誠が、最も天に通じる」という真理です。

耕しても、富を得ようとするのではなく、耕すこと自体が天命。

それを全うする姿勢こそが、无妄の徳を体現しています。

「富まざる」ことを恐れず、

「成すべきことを成す」その一点に心を置くとき、

人は自然と道にかない、時至って吉を得ます。

天雷无妄(二爻)は語ります——

“誠実は結果を超えて尊い”。

それは、天意にかなう者のみが体得できる、静かで深い生き方なのです。

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