141、地雷復(ちらいふく)3爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

141、地雷復(ちらいふく)3爻

◇ 復とは何か?

地雷復(ちらいふく)は「かえる」「もどる」を意味します。

地(坤)の中に雷(震)があり、長い静止のあとに再び動き出そうとする象です。

それは冬の最中にあって、春の兆しがほんのわずかに現れた時期を示し、

沈滞・閉塞からの回復、善への再帰、希望の再生を象徴します。

「一陽来復」と呼ばれるように、陰が極まって陽が生まれるこの卦は、

人が過ちや停滞から抜け出し、正しい道に戻る瞬間を表しています。

しかし、回復の途上にあるため、まだ安定せず、

善に帰ろうとする心と、古い悪習や迷いの間で揺れる段階でもあります。

◆ 卦全体が教えてくれること

復の卦が教えるのは、「道を誤っても、すぐに正しき心を取り戻せば、やがて大きな吉を得る」ということです。

善への回帰は、誰にでも与えられた天の恩寵であり、

問題は「気づき」と「立ち返り」の早さにあります。

ただし、復の途上ではまだ陰の勢いが残り、

迷いや未練が生じやすく、心が揺らぎやすい時期でもあります。

焦らず、何度も省みながら、正しい方向を確認し続けることが肝要です。

◆ 三爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「頻(しき)りに復(かえ)る。厲(あや)うけれども咎(とが)なし。」

【象伝】

「頻(しき)りに復(かえ)るの厲(あや)うきは、義(ぎ)咎(とが)なきなり。」

解釈:

第三爻は、内卦の最上位にあり、初爻(善の本源)からやや遠ざかった位置にあります。

そのため、善に戻ろうとする心はあるものの、まだ迷いが多く、定まりにくい状態を示しています。

爻辞の「頻りに復る」とは、

一度は正しい道に戻りながら、また迷い、また立ち返るというように、

行きつ戻りつの不安定な様子を表します。

しかし、その心根には偽りがなく、最終的には正道に帰ろうとする意志があります。

象伝の「義、咎なきなり」とあるように、

この迷いや動揺も、義(ただしき道理)に基づくものであるため、非難すべきではないのです。

つまり、「厲(あや)うけれども咎なし」とは、

道を誤る危うさがあるものの、最終的には正義を守るゆえに咎められないという意味です。

この爻は、復の卦の中でも最も人間的で、

心の弱さや迷いを抱えながらも、最終的には正しき方向を求め続ける姿を描いています。

◆ 含まれる教え

  • 善を志しながらも、迷いと決心の間で揺れる時。
  • 迷っても、あきらめずに正道に戻り続ければ、最終的に咎なし。
  • 義のための葛藤や逡巡は、むしろ人間の成長の証である。
  • 不安定な時期ほど、焦らず自分を信じて歩むことが大切。

◆ 仕事

この爻を得た時、仕事運は不安定で波が多い時期です。

努力しても成果が定まらず、方針が何度も変わる、あるいは他人に翻弄されるなど、

「頻りに復る」の名の通り、進んでは戻る状況になりやすい。

交渉や取引では、こちらの弱点や迷いを相手に見抜かれやすく、

思わぬ不利を被る危険があります。

曖昧な態度は禁物で、決断すべき時はきっぱりと決めること。

優柔不断が災いの元となります。

特に資金面や経営判断では、慎重さが求められます。

うまい話や甘い誘いには要注意です。

この時期は「静観・修正・撤退」も選択肢に入れるべきでしょう。

志望は通りにくく、何度挑戦しても手応えがないことが多い。

しかし、ここでの経験が次の安定期に生きてきます。

焦らず、「今は試練の調整期」として受け止めることが肝要です。

◆ 恋愛

恋愛・婚姻においても、「頻りに復る」の象があります。

つまり、別れては戻り、また距離ができては近づくというように、

感情の往復が続く関係になりがちです。

これは、相手に対しての情はあるが、

互いに確信や信頼が定まらず、関係が安定しにくいことを意味します。

新しい縁は不安定で、根が浅い。

復縁・再会の兆しはあるが、また同じ問題を繰り返す可能性があります。

いずれにしても、真剣さより一時的な感情で動くと破綻しやすい時です。

この時期は、感情より理性を優先し、時間をかけて判断するのが良策です。

◆ 地雷復(三爻)が教えてくれる生き方

この爻が教えるのは、「迷いながらも、正道に帰ろうとする意志を絶やさないこと」です。

人は誰しも迷い、何度も同じ過ちを繰り返します。

しかし、そのたびに心を立て直して善に戻る限り、咎はありません。

「頻りに復る」は、成長の過程における試行錯誤の象徴。

「厲あれども咎なし」は、その不安定さの中にも誠実さと義があることを示しています。

この時期は、成果を焦らず、自らの心を整える訓練の時です。

真の安定は、何度も揺らぎながら築かれるもの。

たとえ足取りが遅くとも、正しき道を歩もうとするその姿こそ、

復の名にふさわしい「人の道の原点」なのです。

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