138、山地剥(さんちはく)上爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

138、山地剥(さんちはく)上爻

◇ 剝とは何か?

山地剝(さんちはく)は「削がれる」「崩れる」「失われる」という意味を持つ卦です。

山の下に地があり、地が山を下から削り取る象を示しています。

これは、下の力が上を侵食し、積み上げてきたものが崩壊していく時を意味します。

剝の卦においては、危機がすでに表面化し、崩壊の流れが極まる状態を描いています。

そのため、この卦を得た時は、新たに築くよりも、滅びの中に残る希望と再生の芽を見極めることが肝要です。

◆ 卦全体が教えてくれること

剝の卦は、物事が極限に達した末に崩れ落ちる時を示します。

しかし、すべてが滅びるわけではなく、陽(正義・真理)の種が最後に一つだけ残るという希望を内に秘めています。

すなわち「剝極まって復す」、滅びの極みにこそ再生の兆しが宿るのです。

この卦が教えるのは、「崩壊の中にも道は絶えず、正しきものは最後に必ず残る」という天の理(ことわり)です。

◆ 上爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「碩果(せきか)食(くら)われず。君子(くんし)は輿(こし)を得(え)。小人(しょうじん)は廬(ろ)を剝(おと)す。」

【象伝】

「君子(くんし)は輿を得るは、民(たみ)の載(の)する所(ところ)なり。小人(しょうじん)は廬(ろ)を剝(おと)すは、終(つい)に用(もち)う可(べ)からざるなり。」

解釈:

上爻は、この卦で唯一の陽爻です。

五つの陰爻に取り囲まれ、まさに孤立した一陽として存在します。

この姿は、荒れ果てた木の枝の頂にただ一つ残る大きな果実「碩果(せきか)」のようなものです。

「碩果食われず」とは、いかに人々がこれを取ろうと狙っても、高く堅く、誰も手出しができないという意味です。

それはつまり、世が乱れ、正義や真理が次々と滅ぼされていく中でも、最後まで正しさを守り抜く君子の存在を象徴しています。

この碩果は、腐らず、奪われず、やがて来る新しい時代の種子となって再び芽吹くのです。

「君子は輿を得」とは、その時にこの君子が世に迎えられ、民がその徳を載せて仰ぐ存在となることを意味します。

象伝の「民の載する所なり」とは、まさにそのことを指しています。

一方で、「小人は廬を剝す」とは、これまでの乱世で権勢を得ていた小人が、

時勢の転換によってその地位・住まい・立場を失うことを意味します。

象伝の「終に用う可からざるなり」とは、小人がもはや世に用いられないことを明確に断じています。

すなわちこの上爻は、剝の極みにおいて、正義の復活と邪の滅亡が同時に起こる瞬間を示すのです。

◆ 含まれる教え

  • 混乱の世でも、正しきものは最後に必ず残る。
  • 君子の徳は一時に滅びず、やがて時勢の支持を受けて再び興る。
  • 小人の繁栄は一時的であり、時の流れと共に自然に消滅する。
  • 崩壊の極みは、同時に再生の始まりでもある。

◆ 仕事

この時期は、時勢が大きく転換する直前にあります。

長く続いた閉塞や停滞が、いよいよ限界を迎えようとしており、危機の爆発と同時に新しい道が開かれる兆しです。

ただし、まだ完全に安定していないため、大きな行動や改革には出ない方が賢明です。

現状では、時勢を見極め、機が熟すのを静かに待つことが最も良い方策です。

事業では、「取り残される者」と「浮かび上がる者」がはっきり分かれる時。

正道を守り続けてきた者には再び光が差し、

時流に迎合した者や不正に頼った者は、地位を失うことになります。

今は焦らず、周囲の希望や信頼に応える形で力を貸すこと。

自ら前に出るよりも、他を支える姿勢が吉です。

◆ 恋愛

恋愛・婚姻では、条件や環境が厳しく、なかなか理想の相手が見つからない時期です。

「碩果食われず」は、良縁がありながらも成就しにくい象。

才能や品位の高い女性ほど、周囲との釣り合いが取れず、孤高に留まる傾向があります。

しかし同時に、「君子は輿を得」の意味から、

今まで苦労を重ねてきた人には、ようやく幸運の波が訪れる暗示もあります。

家のために尽くしてきた女性、または長らく縁遠かった人ほど、ついに良縁を得る兆しです。

◆ 山地剝(上爻)が教えてくれる生き方

この爻が教えるのは、「滅びの中に残る正義は、やがて世を救う」という天の理です。

混乱や衰退の時にあっても、真理や徳を失わずにいる者は、

いずれ時の流れと共に再び世に迎えられ、正義の車(輿)に乗って前に進むことができます。

「碩果食われず」とは、孤高であっても汚されぬ存在。

「君子は輿を得」とは、世が再び正しきを求める時、その徳が報われること。

「小人は廬を剝す」とは、不正に築いた者の崩壊を意味します。

剝の極みにあって、滅びを恐れず、徳を守ること。

それこそが、真の君子が歩むべき道です。

混迷の世の中でも、心の正しさを失わず、静かに時の来るのを待つ。

その姿が、やがて「民の載する所」となるのです。

 

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