132、山火賁(さんかひ)上爻占断

周易64卦384爻占断

周易64卦384爻占断

132、山火賁(さんかひ)上爻

◇ 賁とは何か?

山火賁(さんかひ)は「飾る」「装う」ことを意味し、外見や体裁に注意を向ける場面を象徴します。ただし、ここで言う「飾り」とは単なる虚飾ではなく、内実を伴った美しさをどう表現していくかということが問われる卦です。

本卦は内卦に「火(離)」、外卦に「山(艮)」をもち、火が山を照らすように、内なる明徳が外に表れて他を照らすこと、つまり内実を備えた飾りのあり方を教えています。

◆ 卦全体が教えてくれること

賁の卦が伝えているのは、外見を整えることが大切な時であるという教えです。しかし、それは中身を伴わない虚飾ではいけません。真の賁とは、内実が充実してこそ表面が映えるというものであり、過度な見栄や無理な演出は災いを招く可能性があります。

全体を通して、自然な美しさ、節度を守った表現、内面の誠実さが最も重要であるという価値観が一貫しています。

◆ 上爻の爻辞と解釈

【爻辞】

「白(しろ)く賁(かざ)る。咎(とが)なし。」

【象伝】

「白(しろ)く賁(かざ)る咎(とが)なしは、上(かみ)志(こころざし)を得(え)るなり。」

解釈:

上爻は外卦「艮(山)」の主爻にあたり、五爻が「丘」であったのに対して、ここは山の頂上です。

山の上にはもはや飾るべきものがなく、都市的な文化や文飾の影響からも遠い場所。

そのため、「白く賁る」とは――飾るものがないことを、むしろ自らの飾りとするという逆説的な美の境地を表します。

それは、学も徳も備えた人が、世俗の名誉や富貴に心を動かされず、静かに、清らかに生きる姿勢です。

浮世の栄辱を超越し、何の衒(てら)いもなく、飾らないことがかえって最高の賁りとなる。

初爻は「足を働かせて賁り」、五爻は「自然を賁り」、そして上爻は「何も賁らぬことを賁り」とする。

この順序は、外的な飾りから内的な悟りへの成熟を示しており、上爻はまさに仙骨哲人の境地です。

象伝の「上志を得るなり」とは、この「飾らぬ美」に到達したことを指します。

賁の極みは、飾りの消滅――すなわち「無飾」にあります。

それゆえ、「吉」とは書かれず、「咎なし」とのみされているのです。

これは社会的成功というより、精神的完成を意味します。

◆ 含まれる教え

  • 飾るものがなくとも、それ自体が最高の飾りとなる境地に至る。
  • 外的な華やかさを求めず、心の静けさと悟りを重んじること。
  • 成し遂げた後は、引き際を知り、静かに退くことが賢明である。
  • 「無為の美」「自然の徳」を体現する姿が真の完成を示す。

◆ 仕事

この爻を得た時は、物事が極まって転換点に差しかかっていることを意味します。

ここからはさらに進めるよりも、退く・静める・整える方向が吉です。

談判や交渉、取引などはすでに進展の時を過ぎており、ここで押し進めると失敗を招きます。

むしろ、潔く撤退し、次に備える時期です。

これまで華やかだった事業や方針を、地味で堅実な方向へ転換するのがよいでしょう。

外面的な成功を求めず、内面的な充実と精神的な完成を志すことで、真の安定を得られます。

隠忍していたものが動き出すなど、変化の兆しもありますが、それを無理に抑えるより、自然な流れに任せることが最善です。

◆ 恋愛

恋愛においても、派手さや情熱よりも、心の静けさ・成熟した関係を重視すべき時です。

これまでの関係が一段落し、穏やかで安定した段階へと移行します。

もし縁が尽きるべきものであれば、無理に繋ぎとめず、潔く受け入れるのが良策です。

新しい出会いを求めるより、内面的な成長や自己理解に意識を向ける方が心を整えます。

飾らず、自然体であるほどに、あなたの魅力が静かに伝わる時期です。

◆ 山火賁(上爻)が教えてくれる生き方

この爻が教えるのは、「飾らぬことこそ、最上の飾りである」という真理です。

外面を整える段階を超え、精神の純白さに至る時、人は真に自由となります。

「白く賁る」とは、何も足さず、何も偽らず、自然のままに生きる姿勢。

それは世俗的な成功や評価を超えたところにある、悟りの美・無為の徳です。

山の頂に至った者が、そこからさらに上を求めるのではなく、静かに下界を見渡し、心安らかにあるように。

物事を極めた後には、執着を手放し、静かに退くこと。

それが「咎なし」、すなわち人生の完成形としての無飾の境地なのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました